2019年9月15日に開催される。【MGC・マラソングランドチャンピオンシップ】
女子は15名が出場権を獲得したが世界陸上選手権女子マラソンに出場する3選手は出場辞退となり12名で争われる予定だ。
MGCは東京オリンピックのマラソン代表を決める重要な大会である為、非常に注目度が高い。
当サイトではMGC出場選手を1名ずつ紹介している。
第9回目となる今回は福士加代子選手をPICKUP。
福士加代子 プロフィール
名前 | 福士加代子(ふくしかよこ) |
生年月日 | 1982年3月25日 37歳 2019年7月現在 |
血液型 | A型 |
出身地 | 青森県北津軽郡板柳町 |
出身校 | 五所川原工業高等学校 |
所属 | ワコール |
身長・体重 | 161cm・45kg |
種目 | 自己ベスト |
1500m | 4.21.61 |
3000m | 8.44.40 日本記録 |
5000m | 14.53.22 日本記録 |
10000m | 30.51.81 |
ハーフマラソン | 1:07.26 アジア記録 |
フルマラソン | 2:22.17 |
長距離種目という幅広い枠組みで見ると歴代の日本人選手の中でもトップと言っても過言ではない実績を持つ福士加代子選手だが意外にも幼少時代はソフト―ボールに夢中になっていた。(ポジションは捕手)
中学時代もソフトボール部に所属していたが当時から長距離走も速かった為、陸上部に勧誘されていたという。それでも団体競技が好きという理由で断っていたが五所川原工業高校入学と同時に陸上部に入部した。
自分の意志ではなく仲の良い友人に誘われたのがきっかけで始めた陸上競技、練習もあまり真面目に取り組まず【高校総体】の前だけ少し頑張るという感じでやっていたそうだ。高校総体前だけ頑張った理由もただ泊まりに行きたいという不純な動機であった…
それでも才能があったのだろう実際に高校総体や国体に出場。本番では結果を残せなかったが泊まりに行くという目標はシッカリ達成している…笑
福士選手といえば誰もが“いつも笑顔で天真爛漫”というイメージを持っていると思うが、高校2年の時に陸上部の安田監督から「苦しい時こそ笑顔をつくりなさい」と言われたのが原点となっているようだ。
ワコール
高校卒業後は理髪店を営んでいた親の影響を受け、専門学校に進学する事を考えていた福士選手。
しかし、青森県内の大会で優勝した日にワコールの陸上競技部の人からスカウトを受けた。断ろうとしていたが熱心に誘われ、2000年にワコールに入社。
入社後の福士選手はメキメキと力を付けた。
高校時代は自由奔放に陸上競技をやっていたが実業団に入り本格的な練習に取り組んだ影響が大きかったのだろう。
実業団、初めての大会で優勝すると、もう少し頑張ってみようという気持ちが強くなった。そこからの福士選手は急成長を遂げ、2002年6月の【日本陸上選手権】5000mと10000mで初優勝し【釜山アジア大会】の代表メンバーに選出された。
同年、7月には3000mと5000mで日本新記録を樹立。
同年、10月の【釜山アジア大会】本番では5000m、10000mともに銀メダルを獲得。
5000mでは自身の持つ日本記録を0.02秒更新、10000mでは日本歴代2位の30分51秒81で走り自己ベストを大幅に更新した。
飛躍の年となった2002年だったが最後の最後に躓く。
12月の【全日本実業団対抗女子駅伝】で他の選手と接触し転倒。区間賞を獲得するも膝の靭帯を切るという大怪我を負ってしまう。
それでも福士選手は前向きだった。順調に行き過ぎて少し天狗になりそうな時期だったので怪我をして却って良かったと。
怪我から約半年後の【日本陸上選手権】10000mで復帰した福士選手は独走で優勝を飾る。
この結果、【世界陸上選手権フランス大会】の5000m、10000m日本代表に選出。
本番では5000mで予選落ち、10000mが11位と思うような結果は残せなかった。
トラックの女王がマラソン挑戦
2004年以降もトラックの女王として君臨した福士選手。
2004年は【アテネオリンピック】に出場。
2005年は【世界陸上選手権ヘルシンキ大会】に出場し5000mで決勝進出を果たした。
2006年、自身初のハーフマラソンに挑戦することに。2月の【丸亀ハーフマラソン】に出場しアテネ五輪女子マラソン金メダルの野口みずき選手と争いアジア新記録となる1時間7分26秒で優勝した。この記録は今も尚、破られていない。
2007年は【世界陸上選手権大阪大会】に5000mと10000mの二種目で出場。
国内のトラックでは無類の強さを見せる福士選手だったが世界大会に出場しても入賞争いにさえ絡めない。そんな状況もあってか以前は考えられないと言っていたマラソン挑戦プランが持ち上がる。
甘く見過ぎた屈辱の初マラソン
福士選手の初マラソンの舞台は2008年1月の【大阪国際女子マラソン】に決まった。
当時はマラソンの高速化に対応する為、トラックのスピードに対応できる選手のマラソン挑戦が持て囃された時期だった。国内最速のスピードを持つ福士選手のマラソン挑戦は当然のように注目を集めた。
福士選手本人や所属チームも少しばかりマラソンを舐めていたのかもしれない。調整期間は僅か1ヵ月。30km以上の長距離走を1本も走らず本番に臨んだ。
スタート直後から持ち味のスピード活かし独走状態に。5km通過が16分37秒、25km通過時点で2位に2分以上もの大差を付けていた。
しかし、ここからがマラソンの恐ろしさ。マラソン挑戦の為の練習をきちんとこなしていなかった福士選手は30km過ぎから急激にペースダウンする。「レース後の福士選手は目の前が真っ暗になった」と語っていた。
35km手前で追い抜かれると、その後は何度も転倒しながらフィニッシュ。初マラソンの記録は2時間40分54秒で19位という屈辱的なものだった。
マラソンでのオリンピック出場を諦め、トラックで【北京オリンピック】出場を目指すことに。
その後の選考レースで日本代表に選出された福士選手は北京五輪でも5000mと10000mの二種目に出場するも入賞には手が届かなかった。
上手くいかないマラソン
大阪国際女子マラソン以降は2009年2010年ともにマラソンに出場する事はなくトラック種目や駅伝、ハーフマラソンで活躍。
2度目のマラソン挑戦は2011年9月の【ベルリンマラソン】に決まった。
ベルリンは高速コースとして知られており日本女子マラソンの歴代3傑記録はこのベルリンマラソンで生まれている。
この日も序盤は快調にペースを刻み日本記録ペースで走っていたが25km手前からペースダウン。
2時間20分台を狙っていたが、結果は2時間24分38秒という記録に終わった。
3度目のマラソンは初マラソンで屈辱を味わった大阪国際女子マラソン。
【ロンドンオリンピック】マラソン代表を目指し出場した。
しかし、この大阪でも同じようなレースをしてしまう。序盤は快調。しかし、25kmを過ぎた辺りからペースダウン。2時間37分35秒という惨憺たる結果に終わった。
4度目のマラソンで初優勝
4度目のマラソンは2013年1月。またも、大阪国際女子マラソンとなった。
この日も序盤から2時間22分台を狙えるようなペースでレースが進む。しかし、ペースメーカーの前に出る事はなく冷静だった。ペースメーカーが外れた30km過ぎからスパートをかけ後続を突き放し独走状態に。35km過ぎにペースダウンし2着に敗れはしたものの(繰り上がりで1位)自己ベストを上回る2時間24分21秒でフィニッシュした。
終盤、いつものように失速したが35kmまでスピードを持続できたのは収穫だったように思う。初めて福士選手がマラソンをシッカリ走り切ったという感じが個人的にはあった。
この結果、2013年の【世界陸上選手権モスクワ大会】の女子マラソン日本代表に選出された。
世界陸上モスクワ大会女子マラソンで銅メダルを獲得!!
世界陸上本番当日は気温27℃。厳しいコンディションとなった。
福士選手は先頭集団の一番後ろの方にポジションを取りレースを進めた。
暑さに弱い選手が徐々に脱落していくという我慢のレースになる。
福士選手は冷静にレースを進めていたが30km手前で先頭集団から遅れてしまい4位に順位を落とす。
しかし、ここからが凄かった。いつもであればズルズル離される30km付近だが福士選手は粘りを見せる。一旦、離されるが先頭集団の見える位置で我慢。すると35km過ぎに先頭集団から落ちてきた選手を抜き再びメダル圏内へ。競技場に帰ってきた福士選手は銅メダルを確信していた。最後は福士選手らしく満面の笑みを浮かべ、ガッツポーズでフィニッシュ。
銅メダルというのは勿論、価値のある事だが大失敗した初マラソンからここまで成長したという事により価値を感じる。このレースは象徴的で普段であればいけるとこまで行って最後はペースダウンしフィニッシュというパターンだったが、前半は先頭集団の後ろの方でスタミナロスを最小限に留め、先頭集団から離れても粘り、最後は落ちて来る選手を拾ってゴール。初マラソンの時とはマラソンというものに対しての考えが全く変わっていたのではないだろうか?
苦しんだ時期を乗り越えての銅メダルに非常に感動させられたのを思い出す。
3度の骨折
世界陸上選手権で銅メダルを獲得して以降の福士選手は苦しんだ。
左右の足を僅か1年ほどで3度も骨折。手術も経験している。
2016年、【リオデジャネイロオリンピック】代表選考レースの大阪国際女子マラソンにエントリー。
序盤からハイペースとなったが福士選手は終始余裕を感じさせる走りだった。ハイペースに耐えられなくなった選手が次々に脱落していく中、終盤は独走状態となり派遣設定記録突破となる自己新記録の2時間22分17秒で自身2度目のマラソン優勝を果たした。
レース後の「リオ決定だべぇ!!」は選考レースが全て終わっていない段階での発言とあって少々、物議を醸しだしたが無事、リオ五輪女子マラソン日本代表に選出された。
リオ五輪本番ではメダル争いに加われず14位に終わった。
結婚・MGC出場権
プライベートでは2017年3月17日に6歳年上の男性と結婚。
2005年から12年間の交際を経てゴールインした。
お相手の男性は関西のマラソン関係者という事で仕事を通じて知り合ったそうだ。
結婚後も引退せず現役を続行する事を発表し2020年の【東京オリンピック】出場を目指す事を名言。
東京五輪を目指す福士選手はMGC出場権獲得を目指し、2019年の大阪国際女子マラソンに出場。
しかし、13km手前で海外選手と接触し転倒。映像を見る限りでは頭から倒れ込んだように見えた。
福士選手自身も「転倒後は意識がモアーッっとしてヤバイなと感じた」とレース後に語っていただけに転倒による影響は大きかったように思う。思うように走れなくり35km地点で棄権した。
大阪でのMGC出場権はならなかったものの同年3月の【名古屋ウィメンズマラソン】に出場し、日本人2位の2時間24分9秒でMGC出場権を見事、獲得した。
自身5度目のオリンピック出場となるのか?
7月3日、日本陸連はMGCの上位5人の選手に国際陸連から参加資格が与えられること決まったと発表。即ち五輪参加標準記録を突破するのと同等とみなされMGCまでのタイムに関係なく上位2名が代表に内定するという分かり易い形式になった。
オリンピック出場4回、世界陸上選手権出場5回という素晴らしい実績を持つ福士選手だが、東京オリンピック出場の可能性はどれくらいあるのだろうか?
年齢的な部分で見ると2019年7月現在で37歳。肉体的なピークは過ぎているだろう。近年のトラックレースや駅伝を見ていてもスピードが落ちてきたのは明白だ。しかし、マラソンという事で考えると経験を積みレース運びなどは間違いなく向上している。
様々な経験をしてきているだけにMGCという大舞台でも落ち着いて普段通り臨めそうなのも他選手には無い強みなのかもしれない。
今後は所属チームで同じくMGCに出場予定の安藤友香選手、一山麻緒選手と共にMGCに向け熊本県内で長期合宿を行う予定となっている。
レベルの高い選手と練習を行う事でMGCに向けスイッチが入るのではないだろうか?
世界陸上選手権モスクワ大会で銅メダルを獲得しているように暑さに強いであろう福士選手はこの点でも優位に立てる可能性がある。
若く勢いのある選手が多数、出場するが福士選手には若い選手に負けないようなエネルギッシュな走りを見せてもらいたい。
性格・発言
記事冒頭にも書いたように笑顔が魅力的な福士選手だが発言も一般的なアスリートのようなマニュアル的なものではなく思った事を素直に口にするタイプだ。
好意を持つ人も多いが、一部にはアンチも存在する。ネットでは「下品」と言われる事もあった。
その他、リオ五輪女子マラソン後のインタビューに対し嫌悪感を抱いている人もいるようだ。
明るく振舞っている福士選手だが個人的には非常に繊細な人なのではないかと思っている。アスリートであるが故に自分の弱みを見せないような振る舞いを心掛けているのではないだろうか?ただ、サービス精神旺盛な部分は素の福士選手だとも思う。
結果が出ないと叩かれる事も多いアスリートだが福士選手はこれまで長い期間、結果を出し続けている。日本記録を複数持ち、世界陸上選手権で銅メダルを獲得している選手が普段、努力をしていないはずがない。
別に好きになって欲しいとは思わないが、ひとつの結果や発言でこれでもかというくらい叩くのはやめていただきたい。
これまで陸上界に多大な貢献をしているのは間違いないのだから。
本人は気にもしていないだろうが、これからも福士選手らしく個性を発揮して頑張って貰えたらと思う。
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